施設長コラム「つれづれ草」(平成19年)

●平成19年12月

 地球の誕生は46億年前と言われている。そして酸素濃度の増加とともに海中に原生動物が出現したのが約8億年前である。その後生命は海から川、陸へとあるいは空へと新たな居場所を求めて進化していった。そして16万年程前私たち人類の直接の祖先といわれる新人(ホモ・サピエンス)が出現した。こうした進化の過程では、生命は環境の変化に適応することが求められてきた。即ち種の繁栄には自然の許しが必要であった。そこからは神秘にも似た生命の能力を感じることができる。
 しかし、文明の発達とともに、私たちは環境を変えて生き残る術(すべ)を身につけるようになった。その結果、人類は本来持っているはずの自然に適応する能力を失いつつあるようにも思える。この先再び自然の許しを願う日がこなければ良いのだが。

●平成19年11月

 とある日、私は朝早く目をさましてしまった。まだ4時前だった。もうひと寝入りしても良かったが、道路も空いていると思い、早めに仕事場に行くことにした。外に出ると辺りはまだ暗かった。
 ふと東の空をみると10カラット程のダイヤモンドの輝きにも似た星があった。
 金星であった。そして南の空に目をやった。するとそこには冬の夜空の主役オリオン座がそしてその左下にはシリウスが輝いていた。夜空はいち早く冬の準備を始めているように見えた。そういえば最近、一月前まで騒がしかった蝉の声に変わって、草むらから虫の音が聞こえてくる。「時」は私たちの意思を離れて過ぎていく。いや、過ぎていってしまうといったほうが正しいのかもしれない。

●平成19年10月

 90歳過ぎてもとても元気なご婦人がいた。
 「どうしたらそんなに元気でいられるのですか?」と尋ねると、椅子に座ったそのご婦人は「よくみんなから聞かれるのですよ。元気の秘訣を教えてってね。」との答えに続けて、「でも普段から健康に関して特別なことはしてないんですよ。むしろ気にしてないほうだと思います。ただね、細かいことにはくよくよせず、嫁を含め他人のしてくれることを善意に考え、何事にも感謝する気持ちを忘れないように心がけています。」と笑顔で話された。
 良い話を聞かせていただいたお礼に私はお茶と和菓子をすすめた。すると「ありがとう。でもね、今日はお昼に少し食べ過ぎたので遠慮しておきます。食べ過ぎは体によくないですものね。」と言って席をたたれた。

●平成19年9月

 ここ数年、国政選挙、地方選挙を問わず、選挙開票事務の短縮に取り組む自治体が増えている。実際地方自治法では「最小の経費で最大の効果を挙げるよう」また公職選挙法では「選挙結果を速やかに知らせるよう」求めているが、これまでは安全性重視から効率性・迅速性は二の次とされてきた。しかし作業時間の短縮は集中力を保てることでかえって安全性の向上につながるし「住民サービスの向上」や「人件費の節約」にもなる。
 この取り組みを行った自治体に共通することは、リハーサルの重要性とこれまでの「常識が非常識」に「非常識が常識」になるという発想の転換にあるようだ。
 日ごろの仕事においても、できる方法を前向きに検討していけば、良い結果が得られそうである。

●平成19年8月

 夕暮れ時私は車を運転していた。信号が赤になった。左側の歩道に目をやった。すると中年の労務者風の男の姿が目に入った。彼の足取りは覚束なく、時折倒れそうだった。私は気になったがそのまま車を走らせた。係わり合いを持つことに多少の抵抗を感じた。しかしその時聖書の「善きサマリア人」の一節が頭に浮かんだ。2分後私は彼の横にいた。
 「どこか具合悪いですか? 頭いたいですか? 救急車呼びましょうか?」とためらいながら尋ねた。
 彼は「大丈夫。」と言い、惣菜の入った買い物袋を置いたまま歩き出した。小さくなっていく後ろ姿をしばらく見ていたが、やがて私もその場を立ち去り帰宅した。サマリア人のような手助けはできなかったが、その夜のビールはいつになく美味しかった。

●平成19年7月

 昭和39年東京オリンピックが開催された時、私は高校生だった。
 それから十数年後、社会人となった私は、ある時職場の同僚と東京オリンピックの話をしていた。話の輪に加わった新入社員は「私、その頃5歳だったので、全然覚えていません。」と言った。それまで東京オリンピックの話は社会人なら誰でも知っていると思っていた私はびっくりしてしまった。
 さて、平成生まれの社会人も現れ始めた。現在35,6歳の社会で働く人々にとって彼らの存在はどのように映るのだろうか。そして、平成生まれの女性が子供をあやす姿を目にすると、思わず自身の積み重ねてきた年月を数えてしまう。「死は前より来たらず。かねて後ろより迫れり。」(徒然草)といったところであろうか。

●平成19年6月

 5月の第3日曜日、鶯の声を窓越しに聞きながら25周年記念式典が行われた。
 設立当時はまだ高齢社会の到来が話題になることは少なかった。近隣の住民の中には、建設を不安視する人もいた。しかし初代理事長の私欲のない行動が少しずつ地域の人々に理解され老人ホーム開設の運びとなった。その後今日に至るまで、ホームに係わった職員一人一人の誠実な仕事ぶりにより、地域の皆様の信頼を得られてきたのではないかと考えている。
 私たちはこうした無形の財産を大事にして今後も業務にあたっていきたい。そして変化する時代に対応できる知識の習得に努め、常に地域の社会福祉に貢献する施設でありたいと思っている。

●平成19年5月

 先日、山深い町青根にある一軒の家を訪問した。庭先に入ると50年程前この地に来た記憶がよみがえった。
 当時小学生だった見ず知らずの私にその家の中年の女性は愛想よくお昼ご飯をご馳走してくれた。おかずは生卵2個であった。食事を促す彼女の物言いも印象的であったが、それにもまして、私の食事する姿を見つめる同年代とおぼしき子供等の姿が今も脳裏に残っている。「その頃生卵は大変なご馳走であったのだろう。うらやましかったに違いない。」と気づいたのは中学生になってからだった。
 そして彼女の笑顔の裏には、もう一つの理由(わけ)が隠されていたのかもと別の視点から考えるようになったのはずっと後のことだった。当事、岩のむきでた道をジープで連れて行ってくれた人の職業は公務員で、土木事務所に勤めていた。

●平成19年4月

 地球温暖化との関係は不明とのことだが、今年はことの他暖冬であった。初雪をみたのは3月半ばを過ぎてのことであり、それも朝方だけですぐに降り止んでしまった。お陰様で、交通渋滞とか大きなトラブルに巻き込まれることもなく過ごすことができた。しかしスキー場など寒さを頼りとするサービス業関係者や寒さを利用してものづくりに携わる人々にはきびしいシーズンであった。また東北や中越といった米どころでは、積雪が少なかったため稲の生育に必要な水が夏に向けて確保できるか、今から懸念する声が聞かれている。
 まさしく「こちら良ければあちらが悪い。」といった現象であるが、自然の営みの前では、人間がいかに無力であるかを感じた今年の冬であった。

●平成19年3月

 2月のある日曜日、私は普段車で通勤している自宅からホームまでの26kmを走ってみることとした。おりからの市民マラソンブームの刺激を受けたせいもある。しかし理由はそれだけではなかった。
 最近私は、地域の方々を訪問することがある。そこで出会う人の多くは高齢者であるが、なかには若くして障がいを持った人もいる。
 先天的、後天的とその理由は様々であるが、彼らは視力を失ったり上下肢の麻痺などとひどく不自由な生活をしいられている。それでも障がいを受容して前向きに生きている姿から人間の尊厳を感じ取ることができた。そんな彼らに接しているうちに、私は今自分が健康でいられる幸せに感謝する気持ちでいっぱいになり手足を動かして見たくなった。

●平成19年2月

 資本主義社会の当然の姿であるが、物品販売業やサービス業の営業活動には広告宣伝が不可欠となっている。実際消費者に対して様々なアプローチがなされるが、その一つとして繁華街に溢れる看板があり、夜ともなればいやおうなしにネオンサインの光が目に飛び込んでくる。
 日頃そうした看板のお世話になることも多々ある。しかしそれらのうちにはあでやかさを競うあまり環境破壊をもたらしているものも多いはずである。
 そこで私は環境税の創設を提案したい。自然環境を傷つけて利益を得る広告主はその代償を社会に還元する義務を負う。勿論広告に限らず全て環境に悪影響を与えた分相応の負担をする。共生社会とはこうした考えが積み重なった社会ではないだろうか。

●平成19年1月

 「内外、天地とも平和が達成されますように。」と願いを込めて「平成」と改元されてから19年目の新春を迎えた。
 確かに「ポスト冷戦時代」の幕開けとなったベルリンの壁の崩壊は平成元年のことである。しかし現実にはアメリカで起きた同時多発テロやその後のアフガニスタン侵攻やイラク戦争等不安定な時代が続いている。また日本国内においても、憲法改正問題や新教育基本法制定といった動きに時代の変化を感じることがあるし、格差社会の拡大も不安要因のひとつである。
 「愛国心」はともかくとして「平和は与えられるものでなく、私たち自らが作り出すもの。」という民主主義の原点に立って様々な議論を進める一年にしたいものである。
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