施設長コラム「つれづれ草」(平成21年)

●平成21年12月

 一年ほど前結婚した長男夫婦と食事をすることとなった。待合わせ場所は新宿3丁目伊勢丹だった。年の瀬を間近に控えた新宿は人、人で溢れていた。皆私の脇を足早に去っていった。
 耳慣れない言語が次から次と私の耳を通過した。外国人の姿も多く見られた。彼らは皆この街に溶け込んでいた。私の方がかえって不似合いに思えた。居心地の悪さ、時代の変化を感じた。
 長く外国で暮らす長女が双子を出産したとのことで、今日はそのお祝いの品を買うことも目的の一つだった。伊勢丹を訪れたのは20年ぶりだった。当時10歳の長女がガールスカウトに入ることになった。そこで制服が必要となり私が買いに来たのだった。売場には、相変わらずガールスカウトの制服がおかれていた。子供等の成長は親としての役割の終わりを示唆する。勿論不満はなかった。ただ時代の流れから置き去りにされていくような不安を感じた一日となった。

●平成21年11月

 先日、一通の手紙が届いた。年賀状のやり取りはあるが、疎遠になっていた知人からの手紙だった。30年前大変お世話になった人で、私より5歳ほど年上であった。彼は我家の近くで自営業をしていたが、東京の江戸川辺りに引っ越し、その後も商いを続けていた。宛名を見た瞬間「引退の挨拶だろうな。」位にしか思わなかった。私自身にとっても無縁な話しではないと思った。しかし封を切ってびっくりした。
 そこには、作家としてデビューした知らせが書かれていた。そして「図書購入のお願い」や一流雑誌社から発売される作品のパンフレットが挿入されていた。
 最近仕事が思い通りにいかず苛立ちを感じることがあった。そんな折には歳を言い訳に自分を慰めることが多かった。そんな私に歳を重ねても、なお前向きな彼の姿は新鮮だった。
 暫くすると、いつか私も同じような手紙を彼に送れたら良いなと心に緩やかな血の流れを感じた。

●平成21年10月

 9月のある日曜日、私は模擬試験の会場にいた。
 会場内には若い人から私のような年配の人まで幅広い年齢層の人がいた。皆、来月の資格試験を目指していた。昔、大学受験を余分に経験したこともあって、模擬試験には慣れているはずなのに、少しばかり緊張している自分がいた。そんな自分が少しばかりおかしくもあったが、当時の記憶を思い浮かべると落ち着くことができた。
 さて、ある程度準備して臨んだにもかかわらず、結果は満足いくものではなかった。記憶力の衰えを改めて感じた。反省もあって次の日は多くの時間を勉強にあてた。
 勉強に没頭するうちに不思議な感覚が生まれてきた。能力の衰えは仕方ないが、この歳になっても勉強できる環境にいられることが嬉しく思えた。そして、勉強する時間を持てることに加え健康でいられることがとりわけ嬉しかった。

●平成21年9月

 日頃福祉分野でも「倫理綱領」といった言葉をよく耳にする。そこで私はホームの職員全員に「倫理とは何か。50字程度で定義しなさい。」という課題を与えてみた。何とはなく分かっていても、簡潔に表現するのは難しいことである。いろいろな答えが返ってきた。その中では「規範、道徳、基準、規律、秩序、良心、モラル」等といった言葉が数多く使われていた。
 ソクラテスやアリストテレスは人間を「理性的な存在」、「社会的な存在」と捉えている。しかし、科学や文化の発展とはうらはらに、フロイトのいう<超自我>はその居場所を失いつつあるように思える。それが現代社会において今まで以上に「倫理観」が求められる理由の一つなのだろう。
 ところで、私は倫理を「個人又はそれぞれの集合体が自主的に遵守するとともに、社会から当然に求められる行動の基本とすべき規範」とひとまず定義することとした。

●平成21年8月

 7月上旬、新聞の片隅に<第25回「佐藤 栄作賞」の受賞論文が決まった>との記事が掲載されていた。
 故佐藤栄作元首相は、1967年沖縄返還問題に関連して「持たず、造らず、持ち込ませず。」との非核三原則を明言した。そして世界平和に貢献したとのことで、日本人で始めてノーベル平和賞を受賞した。その賞金を基に設立された財団法人の一つとして上記事業が行われていることを知った。しかしその後アメリカの公文書に加え、最近日本政府元高官の「日米核密約証言」によりその存在が明らかになってきた。
 状況次第では、故佐藤氏は2枚舌を使って、日本国民や世界を欺いていた可能性も否定できない。もしこのことが事実ならば、この財団法人の存在意義、更にはノーベル賞委員会による<平和賞授与の正当性>をも検討すべきではないだろうか。

●平成21年7月

 臓器移植法の改正が話題になっている折、私は「犠牲(わが息子・脳死の11日)」を再読した。
 内容は突然自ら死を選んだ息子が、11日の間闘病生活の末脳死にいたった過程、そして最後に腎臓提供の道を選んだこと、またその間の医療従事者や家族の心情が語られていた。
 家族の願いも空しく、日ごとに状況は悪化しやがて脳死の判定を受けることとなるのだが、積極的医療を中止した後も、医学的には考えられないが、面会時には何故か血圧が上昇するし、耳元での呼びかけにも答えているように感じられたとのことであった。そこで著者は「脳死を持って人の死としていいのだろうか。脳死とは人間が死んでいくプロセスの一つに過ぎないのではないだろうか。」と考えるにいたった。
 今回提示されている改正案の一つでは、脳死を持って「死」とするとされている。死生観の違いや家族の関わり方によって、死の受け止め方も各人違って当然であろう。それを法律で一律に定義することが、果たして妥当なのだろうか。 
(引用著書 犠牲(わが息子・脳死の11日)<柳田邦夫>)

●平成21年6月

 初夏とはいえ少し寒さが残るとある休日の朝、私は家の書棚から一冊の古い本を手に取った。
 明治40年6月から4ヶ月に渡って朝日新聞に連載された夏目漱石の「虞美人草」だった。漱石が教授の地位を棄て、小説家として最初に取り組んだ作品であった。
 小説の真髄に辿り着く難しさは覚悟して読み始めたが、読み進めるにはかなりの知識を必要とした。漢詩はもとより、東洋史、世界史に通じてないと読みこなせなかった。それでも文中にもある<ルビコン川を渡る。>思いで読み続けた。
 購入時、私は17歳だった。当時の私にこの小説を読破する知識があったとはとても思えない。恐らく買っただけで本棚の隅に追いやられていた事だろう。発表とともに社会的にも大評判を博したと言われている。新聞購読者の階層が限られていたにせよ、明治人の文化水準の高さに恐れ入るばかりであった。只々感心のうちにも、その日の夕方にはなんとか読み終えていた。

●平成21年5月

 「幸せになりたいんだけど、どうしたら幸せになれるかなー?」
 「君が考える幸せって・・・どうなれば幸せなの?」
 「そんなに貧しくなく・・家族みんなでゆったりした生活ができたらいいな!って」
 「でも幸せって形があるわけではないし、人間の欲望には際限がないから・・・そう、どこまでいっても幸せには辿り着かないと思うな。それに物を得ると却(かえ)って争いが生じて不幸になることもあると思うよ。」
 「では、あなたの考える幸せは?」
 「そうーだね、現実を受け入れ、自分自身や他人そして与えられた環境に感謝する気持ちで生活できたら・・・そしたら気付かないうちに幸せになってるかもね?勿論<妥協>とは違うよ。 確か孔子は<60にして天命を知る。70にして何とか・・・>って言ってるけど・・・そんな心境になれたらいいね。僕には絶対無理だけどね。」
(参考 孔子曰く「70にして、己の欲する処に従って、その矩(のり)を超えず。」)

●平成21年4月

 平成21年4月、介護保険制度が導入されて以降、3回目の介護報酬改定が行われました。過去2回ともマイナス改定でしたが、今回初めてプラス改定となりました。
 主な改正の主旨は「介護従事者の離職率が高く、人材確保が困難な現状にあっては、従事者の処遇改善を進める必要がある。」「介護が必要になっても住み慣れた地域で自立した生活を続けることができるよう<医療と介護>の継ぎ目のないサービスの提供が必要である。」といった点にあるとの事ですが、その根底には、質の高いサービスの提供体制を作りたい。その為にもそうしたサービスの提供を目指している事業者を適正に評価していこうという考え方があると思います。
 改正内容を詳細に視ると、制度改革の継続性といった観点からは、疑問に思う点もありました。しかし新たに導入されたサービス評価基準のいくつかは、既に当施設では取り入れており、施設の方針に間違いはなかったと考えております。

●平成21年3月

 今世界は、100年に一度の経済危機といわれる程の不況の真っ只中にある。勿論日本も例外ではない。しかし2月の中旬訪れた週末の繁華街は思いの他賑わっていた。とりわけ飲食店は混んでいた。私たち4人のグループは、どの店も満員でなかなかテーブルにつけなかった。そんな風情からは、経済の落ち込みも格差社会の到来も感じ取れなかった。いや、只気づく眼を持ち合わせていなかっただけだろう。
 私は、街の光景を見て、40年程前に手にした本「成長の限界」の中の一節【池の中に毎日2倍の大きさになる水蓮があるとする。30日でその池を覆い尽くすとしたら、池の半分を覆うのは何日目だろうか?】という譬話(たとえはなし)を思い出した。答えは29日目である。
 過去何回かの経済危機を乗り越えてきた自信は大事だが、安易な気持ちでいるとあっという間に取り返しのつかない事態にもなりそうだ。最近の政治情勢を見ていると余計不安になってくる。
(参考「成長の限界」ダイヤモンド社)

●平成21年2月

 先日、新聞の文芸欄に「春は萌え 夏は緑に 紅の まだらに見ゆる 秋の山かな」という万葉集の和歌が掲載されていた。
 目にしたとたん、日々自然に溶け込んで生活している姿や、作者の自然に対する畏敬の念を感じ取ることができた。又、日頃見慣れている津久井の風情を見事に言い表しているようにも思えた。
 詠み人知らずとのことであったが、悠久の年月を隔てているにもかかわらず、この万葉の歌人をとても身近に感じた。声を掛ければ振り向いてくれそうにも思えた。
 考えてみれば、全て文字を持った文化のお陰であった。私達は文字を通して過去の人々の考えやその人となりに接することができる。そうした行為を通じて文化の継承がなされていくのだろう。古代からの歴史の過程で築きあげられてきた文化を受け入れ、それを未来の社会に伝えていく。これも私達にとって大事な役目の一つであろう。

●平成21年1月

 12月の中旬、早朝まだ暗い内にコートの襟をたてて外に出ると、満月とおぼしき月が西の空に沈もうとしていた。そして、仕事を終えた6時頃、東の空に同じようにその月があった。
 小学校3,4年の頃、月食を観察しようと徹夜で空を眺めたのも、はるか昔のこととなってしまった。
 その当時、私はローラースケートに凝っていて、学校が終わると友達とスケート場によく通ったものだった。そんな私を見て、ある時母は「スケート場には不良がいるかも知れないから気をつけるんですよ。」と心配そうに注意した。
 「そんなこと言ったって、誰が不良か分からないよ。だって不良という目印はしてないでしょ。」と私は答えた。見えないものを見る眼の大切さに気付いたのは、いつ頃からだろうか。経験を積む中で、少しは身についてきたとは思うが、最近見えないものの中に輝きを見出せたら、もっと豊かな人生が送れそうな気がしている。
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