施設長コラム「つれづれ草」(平成29年)

●平成29年12月

 先日某新聞に掲載された次の文が目に留まった。投稿者はイギリス人だった。『私が日本に来て、とまどったことひとつは、日本人は「信号機のない横断歩道は車優先」ということだ。私の母国でも、先日訪れたオーストラリアでも、横断歩道に歩行者がいれば必ず車は止まる。それがルールだからだ。・・・・』この記事をみた私は10数年前の娘との会話を思い出した。
 久しぶりに日本に帰ってきた娘は、私の運転する車に同乗すると「お父さん ずいぶん怖い運転するね。今、横断歩道にいた人がオランダ人だったらひいているよ。オランダ人は横断歩道では車は停まるものと思っているからね。」と言った。それ以来私は横断報道で人を見かけるとできる限り停車するようにしているが、すまなそうに頭を下げながら渡る姿を目にすると釈然としないものを感じてしまう。日本的な美徳という捉え方もあるだろうが、停まってくれた車に礼を示す態度は、本来民主主義の主役であるべき立場を放棄しているように思えてしまう。そうした心持ちが再び全体主義を生み出す潜在力に繋がらなければ良いと願っている。
(朝日新聞 私の視点 名城大学准教授 Mark. Rebuck さんの投稿文より一部抜粋)

●平成29年11月

 10月の半ば、高校の同窓会があり、集まったのは70歳を迎えた13名だった。どの顔にも操業後50年の人生を歩んできた皺が刻まれていて昔の面影を残す者はわずかだった。お酒が入るうちに幾つかの団欒の輪ができ、運ばれる料理とともに楽しいひと時が流れていった。リタイアした多くの者の表情には仕事をやり遂げた満足感や清々しさが溢れていたが、一部の者の顔には相変わらず垢にまみれた生活の色が滲み出ていた。
 13名の中に幼馴染のI君がいた。小学校3年の冬に愛媛県から転向してきたI君とはすぐに仲良くなり同級生のK君と3人でよく遊んだものだった。I君と言葉を交わすうちにK君の家で御馳走になったロシアケーキと西洋ナシがその味とともに蘇ってきた。当時の私にとっては物珍しく、家では一度も食べたことのない高価な品だった。
 4時間後、私は自宅に向かう電車の中にいた。窓に映る景色を眺めながら考えた。私は僅かなきっかけから忘れていたはるか昔の出来事を思い出した。こうした多くの無意識の出来事が今の私を形づくっているように思えた。そして忘れることのお蔭で心の平穏が保てることも数多くありそうに思えた。

●平成29年10月

 ホームでは今年も入所者を対象とした敬老の日の式典が催された。利用者の顔は笑顔で包まれていた。式典の最後に副施設長が利用者から聞き取った話を紹介した。以下はその抜粋である。
  • 楽しいこといっぱいで過ごしています。レストランに美味しいもの食べに行ったり100歳になってから楽しいことがあり感謝です。
  • 団体生活が不安でしたが入所してみると皆さんが親切で優しく、今は馬鹿話して笑って過ごしています。息子の面会に感謝です。
  • 心配して施設に入りましたが、師長さんが「嘘は絶対つかない」と言ってくれました。そのとおりだったのがうれしいです。そんな心の繋がりがあるから安心して生活できています。
  • 言いたいことが言える生活が楽しく、辛かった床ずれも治り元気いっぱいです。
  • 母親も入所していたことがあり、少しの間でしたが一緒に生活できたことが良い思い出です。
  • 第三の故郷です。師長さんがお母さんみたいなもので、具合が悪ければ病院に直ぐ連れて行ってくれるので安心して生活できます。
 ほんの一部を紹介したが、こうした声はここで仕事する者にとって何よりの喜びである。

●平成29年9月

 トランプ政権が誕生して半年、米国第一主義を掲げる政策は社会の分断をもたらした。今月、東部バージニア州で、白人至上主義グループが開いた集会と対抗デモを行った反対派が衝突した。集会に参加したグループの幹部はトランプ氏の『自分たちの国を取り戻す』という公約に傾倒していたという。トランプ氏を大統領に押し上げた原動力の一つは、現状に不満を抱く白人労働者層とされる。グローバル化の中で移民が安価な労働力として浸透し働き場を失った白人労働者が、型破りのトランプ氏に現状打破の望みを託すこととなった。
 この流れはアメリカだけに留まらない。最近行われた欧州議会選挙では反EUや移民排斥を訴える極右政党が大きく票を伸ばしたし、フランスでもネオナチと呼ばれる勢力が躍進している。
 第二次大戦後、世界は経済成長を続けてきた。経済の成長は人々の暮らしを豊かにし心に潤いを与えた。しかし戦後70年成熟した資本主義社会の先行きに陰りがみえてくると、限られたパイの分け方に不満が生じてきた。そうした結果、「肌の色や出目、信仰を理由に生まれながらに他人を憎む人はいない」(注1)にもかかわらず自国や自己の利益や幸せのみを優先する社会へと歩み始めてしまったのではないだろうか。
(注1)オバマ大統領ツイッターより

●平成29年8月

 ある日、探し物をしていた私は、本棚の片隅にセピア色をした一通の便箋をみつけた。そこには私が小学4年生の時書いた以下の詩が書かれていた。

 雲の旅行
 青い夕暮れの富士山に 白い雲が浮かんでいる。
 これから世界旅行に行くのだろう
 帆かけ舟のように気まぐれに行ってくるのだろう
 青い広大な海や大きな大陸
 いつか富士山に土産話を聞かすだろう 仲間を連れてくるだろう
 もっと大きくなっているだろう 次は宇宙旅行に行くのだろう

 下記の作品はこの詩を書いた同時期のもので、今でも心に残っている短歌である。たまたま市の作品展に応募したところ賞を頂くこととなった。

 夕空にそびゆる富士は日本一 雲おしのけて 山おしのけて

 作品の良し悪しは別として、60年近く経った今、当時に比べ何がしかの成長はあったのだろうか。振返ったところで過去を変える術は持ち合わせてないが、懐かしさの一方で一抹の寂しさを覚える一日となった。

●平成29年7月

 もう二十年以上前の話だろうか。悩みを抱えた私は尊敬するAさんを訪ねた。当時Aさんは80歳近くの女性で敬虔なクリスチャンであった。
 静かに私の話を聞いていたAさんはゆっくりとした口調で「節ちゃん 心の中に聞こえる神様の声に従いなさい。たとえ間違ったことをしても神様はあなたを正しい道に導いて下さいます」と語った。それを聞いた私は「良かった。これから少しくらい悪いことをしても大丈夫でしょうか」と問うと「神様は何でも許して下さるけど自分で犯した罪は自分で購わなければいけませんよ」と私を諭した。私の母は30歳を過ぎたころクリスチャンになったが、入信当初牧師の語る原罪が理解できなかったという。「自分は何も悪いことはしていない。イエス様はおかしなことを言う」と思ったそうだが、神の心に触れるうちに、今まで深く考えずに犯してきた数多くの罪に気付き信仰心を深めていった。
 70歳を迎えた私にとって残された時間は少ない。薄皮を剥ぐように過去に思いを馳せると、他人を傷つけてしまった事や心に痛みを感じることが数多く浮かんできた。私も又アダムの子孫の一人に違いはないと思うと、残された日々をいかに過ごすか不安な気持ちに包まれていく。

●平成29年6月

 満70歳を迎えた私は奥多摩を訪れた。何回か訪れたことがあるが、今回は奥多摩駅から奥多摩湖までの「奥多摩むかし道」という約9キロのコースに挑んだ。国道を走るバスを使えば20分だが、曲がりくねった山道を3時間かけて歩いた。この歳になっても元気でいられる自分を産んでくれた両親に心の片隅で感謝した。
 この道は江戸時代には甲斐の国(甲府市)との交易路で、地域の人々にとってはライフラインであった。道中には深い森に抱かれた小路や昔の面影を残す集落があった。所々に点在するお地蔵様や同祖神を見ていると、当時の人々が手を合わせる姿が浮かんできた。コースの終わりに小さな集落があった。私は一人の婦人に声をかけた。彼女は80歳を超えていたが、今も畑仕事をし、時には何時間もかけて買い物に行くという。そんな話をする彼女の笑顔は澄んだ空気と同様にどこまでも爽やかだった。
 日頃、交通の便に恵まれた土地で暮らす私には、この集落での生活はとても不便なものに感じた。しかし不便の中にあってこそ人々の結びつきは強くなるだろうし、結びつき以外にも便利さを手にした為に失ってしまったものが多々あるように思えた。

●平成29年5月

 4月の中旬、私は青い海と青い空を求めて沖縄旅行をした。昼過ぎ空港につくと生憎の曇天だったが、気温は26度を越していた。前もって教わったお店で「沖縄そば」を食べると、体中に沖縄の香が溶け込んでいった。レンタカーで観光地を訪れた後水平線のかなたまで続く穏やかな海を眺めながらドライブしてホテルに向かった。ホテルについて驚いたのは、中国人の多さだった。接客する従業員にも中国人の姿が数多くあった。翌日訪れた所でも、四方八方から中国語が私の耳に入ってきた。
 沖縄の人たちは皆親切でやさしかった。スピードをあげて走る車も少なかった。すべてがゆったりとしていた。居酒屋では沖縄民謡がのどかに歌われていたが、そこはかとないやるせなさも込められているように思えた。
 沖縄の気候と文化に触れ楽しい3日間だったが、振り返ってみると基地問題に直面する沖縄の姿に触れることはなかった。旅行は楽しくあるべきなのは当然だが、同じ日本人として現地の人達が抱える問題に接することが出来たならもっと有意義な旅行となったことだろう。

●平成29年4月

 日本の三大スラム街の一つとされるドヤ街「山谷」でNPO法人「きぼうのいえ」を運営する山本氏の講演を聞いた。
 この「きぼうのいえ」は東京スカイツリーのすぐ近くにあり、行き場がない人々を支援する集合住宅である。この地区には戦後の高度成長経済を支えが高齢となって仕事もできず生活保護を受けながら3畳一間の「ドヤ」や路上生活をしている人々が多数暮らしている。彼らの存在を知った山本氏はマザー・テレサの「死を待つ人の家」をイメージして設立したという。彼らの中には昔ヤクザだったり過去刑務所の世話になった経歴の持ち主もいるという。その彼らに最初支援の手を差し伸べても猜疑心が強く心を開こうとしないが、入居して2,3カ月すると次第に変化が見えてくるという。「スタッフから無条件の愛」を示されることで、愛情を受ける快感に目覚めるのではないかと山本氏は語っている。そして最後に「ありがとう」という言葉をのこして息を引き取っていくという。今までに220人余りの人を看取ったが、誰一人として自分の人生を恨んで死んでいった人はいないという。感謝の気持ちで人生の幕を閉じることに勝る幸せはあるだろうか。
(CHRISTIAN TODAY より一部引用)

●平成29年3月

 平成29年2月20日現在、約73億8千万人の人々がこの地球上で暮らしているという。そして1年で7千万人ずつ増え続けている。地球の誕生以来46億年の進化の過程を考えると、今私たちが生きているのは、極めて奇跡的なことだし、日々生活できることに感謝の念を禁じ得ない。では、奇跡的に生を与えられた人は皆幸せなのだろうか。実は資本主義社会にあっては毎年格差は増大し、5億人が1日1ドル以下で生活しているという。
 また難民問題も深刻である。トランプ氏は、難民や中東・アフリカ7か国の国民の入国を禁止する大統領令を出した。多様な国民を受け入てきたアメリカにとって大きな政策転換だし、いじめのようにも思えてしまう。実際米国ではこのことに対して毎日大きな抗議デモが行われている。では日本の現実はどうだろうか。2015年には7,586人が難民として日本に入ろうとしたが、たった0.3%の27人しか受け入れていない。にもかかわらずトランプ氏を批判することはあっても日本政府の難民への姿勢に抗議する声は聞こえてこない。果たして私たちにトランプ氏を批判する資格があるだろうか。
(2017年2月9日 朝日新聞 声欄 エリック・マクレディ氏投稿より一部引用)

●平成29年2月

 22年前の1月17日、阪神・淡路で大地震が起きた。その直後神戸に住む友人は、その恐ろしさや悲惨さを私に訴えてきた。その後も日本をはじめ世界各地で大きな地震が起き、貴い命が奪われたり生活の場を失った人が数多くいる。東海地震もいつ起こるか分からない。そうした中、静かに新年を迎えられたことに只々感謝するばかりである。
 現在、世界の人口は74億人に迫ろうとしているが、その3人に1人は戦禍に巻き込まれ、多くの命が奪われている。又紛争や内紛によって飢餓に苦しむ子供たちも沢山いるしテロも各地で起きている。
 第二次世界大戦の反省から1948年に世界人権宣言が公布された。そこではすべての人の尊厳と平等の大切さが、そして第3条では「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。」と述べられているが、現状は<喉元過ぎて熱さを忘れてしまった>としか思えない。
 過去の過ちを財産として、平和な社会は築けないものだろうか。自然の前には無力な私たちだが、人為的な災害・災難は避けられるはずである。その為には過去の過ちを振り返るとともに一人ひとりが与えられた命を慈しむ気持ちが大事ではないだろうか。

●平成29年1月

 20年以上昔のテレビドラマの話だが、武田鉄矢が演じる金八先生は、生徒に向かって次のように語っていた。
 「天国と地獄で食事に違いはありません。ただどちらも長いしゃもじを使って食べることになっていますが、そのしゃもじは長すぎて自分で食べることは出来ません。地獄にいる人達は、何とか自分で食べようとするけど口に入れることが出来ません。その為彼らはいつもヒモジイ思いから喧嘩ばかりしているし、床に落ちた食べ物にうじが湧いて悪臭が漂っています。
 それに比べて天国にいる人達は、自分で食べられない分を人にあげようとします。貰った人は、又他の人にあげようとします。お互いをかばい合って生きているので天国の人達はお腹はすかないし、床もきれいで、いつもお満ち足りた気持ちで過ごすことも出来ます。
 難民問題を争点の一つとなったイギリスのEU離脱問題、メキシコとの間に壁を作るなど保護主義が争点となったアメリカ大統領選挙など、昨年は一国主義的な動きに不安を感じた一年だったが、今年はお互いがお互いを思いやるゆとりを持った一年となって欲しいと願っている。自分の幸せは他人の幸せから。まさしく急がば回れではないだろうか。
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