施設長コラム「つれづれ草」

つれづれ草

●令和2年12月

 先日山梨県にある「リニア見学センター」を訪れた。当日走行試験の見学はできなかったが、映像には時速500キロで走行する勇姿が映す出されていた。窓に飛び込む景色は一瞬の間に後方に追いやられていったが、行程の多くはトンネルの中を走行していた。
 私が小学校5年生のときクラスのO君は時速160キロを出す特急こだま号に乗車した体験談を自慢げに話した。私はただうらやましく聞いていた。JRはこれを境に時間への挑戦を試み新幹線の開発へと繋げていった。
 夏目漱石の三四郎には空になった駅弁を窓から放り投げる1節がある。行儀の悪い行為だが、執筆した時代、沿線には人家は無く畑ばかりだったのではないだろうか。また志賀直哉の作品「暗夜行路」の1節に<東海道線に乗車した主人公は品川あたりで窓から梅が見えた>とあるが、今からは想像できない大正末期の風情を読み取ることができる。限られた日数なら目的地に早く行って、少しでも多くの名所を巡りたいと考えるのは極めて自然である。しかし車窓から流れる景色を眺めたり、途中の名所歴史に思いを馳せるのも楽しそうだ。また着いたら何をしようか、何を食べようか等と想像するのも楽しいことだろう。速さを求めるあまりに得られないもの。それは旅行だけに限った話ではないかも知れない。
施設長 井 上 節

●令和2年11月

 今年の中秋の名月は10月1日(木)だった。天気が心配されたが、月の出の頃になると雲の合間に満月を観ることができた。暫く眺めていると紫式部の歌<めぐりあいて見しやそれともつかぬ間に雲隠れにし世半の月かな>が頭に浮かんだ。作者は幼友達との再会の時間が短かったことを雲隠れした月に例えて詠んだらしいが、私は作者が眺めた満月を想像してみた。しかし文明社会にどっぷり浸かった私にとって、自然溢れる当時の情景を思い描くのは難しかった。
 ある時友人が<ポルシェ降り、はずす女のサングラス>という句からどのような情景を浮かべるか問いかけてきた。私はヨットハーバーの駐車場、車は黄色でストレッチパンツに先の尖ったハイヒールそして細いウエストの女性を想像すると答えた。
 ある時女子高生の詠んだ「こんなにも思っているのに私の気持ちわかってくれないあなたは教師」が優秀賞をとった。選者は進学相談に乗ってくれない教師への不満を詠んだ歌ではないかと論評したが、作者の告白によれば先生への恋心を詠んだ歌とのことだった。様々な解釈が生まれるのは価値観の違いや心の投影によるものと思うが、文学のみならず他の分野においても解釈の多様性に寛容な社会が居心地の良い社会と言えるのではないだろうか。
施設長 井 上 節

●令和2年10月

 自宅の本棚で探し物をしていると「黒い雨」<井伏鱒二著>が目に入った。折しも新聞では黒い雨訴訟が報じられていた。30年前に購入したこの一冊をあらためて読み返した。著書には一瞬の閃光の下に破壊された町の様子や無数の死骸そして行き場を失った人々に降りそそぐ黒い雨の様子が描かれていた。
 太平洋戦争が侵略戦争だったのか自衛のための戦争だったのかここでは問わないが、どんな戦争であっても負けた時には責任が問われるし被害を最小限に留める努力が求められるのはいつの世も変わりない。真珠湾攻撃に始まり破竹の進撃に沸き立った日本軍が守勢に回ったのは開戦してわずか8か月後のことだった。そして終戦の年2月にはルーズベルト、チャーチル、スターリンによって日本の戦後処理が話された。その後7月には日本の降伏条件を記載したポツダム宣言が提示されたが日本政府はこれを無視した。
 歴史に仮定はないが、もしこの時点で敗戦を受け入れていたら、北方領土を失うことはなかったし、50万人以上の命を奪った原爆による被害も免れたはずである。国は黒い雨訴訟判決に告訴する方針を示したが、戦争終結の判断の遅れを認識するなら苦しみの中生存する被害者救済に最善を尽くす姿勢を示すのが肝要ではないだろうか。
施設長 井 上 節

●令和2年9月

 当施設では、施設の理念を職員と共有することは大事なことと考えて、派遣職員の採用は原則行っておりません。また、ご家族様が希望された場合、各専門職が協働して「看取りケア」を行っております。看取りケアにあたっては、ご家族様の気持ちに寄り添いながらご本人様の苦痛の緩和に努めております。これまでも看取られたご家族様からは感謝の言葉を数多く頂いております。食事に関しては高齢者にとってエネルギーの源であるばかりでなく大切な楽しみの一つですので、外部委託せず管理栄養士の指導の下、施設の調理員の手によって提供しています。お蔭さまで入所者やデイサービスのご利用者様からもとても美味しいとお褒めの言葉を頂いております。
ここ数年大地震や風水害そして新感染症の発生等私たちを取り巻く環境は厳しさを増しておりますが、私たちに求められるのは自然のみならず生命体全てを含めた共生社会を築くことと考えております。当施設でも、自然に恵まれた環境下にあって、これからも地域の皆様に信頼される施設そして共生社会の実現を目指して努力していきたいと考えております。
HP施設長挨拶(その2) <先月号からの続きです>

●令和2年8月

 当施設は、昭和57年5月初代理事長中村幸蔵が地元市町村や国、県の支援の下私財を提供し開設されました。その後今日まで多くの方々に支えられ地域の老人福祉に携わってまいりました。
 その間社会情勢や制度の変化により施設を取り巻く環境は変化しましたが、施設の方針は開設以来首尾一貫しております。それは利用者様や入所様そしてその家族様方に「入って良かった。入れて良かった。利用して良かった」と思われる施設であり続けるということであり、その考えの基本は「人間として人間らしく生きる気持ちを尊重する」ことにあります。
 「人間らしく生きる」ということは、個人個人の価値観や育った環境によってさまざまですが、高齢者だからといって「人間らしく生きる」ことが置き去りにされて良いわけがありません。逆に年月を積み重ねた高齢者にこそ人間らしく生きて頂きたいものです。そのとき初めて一人ひとりの人生が意味あるものになるし、そこに人間の価値を見出すことができます。人間は誰でも特性を備えています。その特性を上手に生かした人生を送れたと自ら感じるとともに他者からの尊重を感じ取れた時、私たちは満足感を覚えるのではないでしょうか。
 縁あって旭ヶ丘の場を共有した皆様方にはそうした人生を送って頂きたいし少しでもその手助けが出来ればと思っております。
HPより施設長挨拶抜粋(その1) <来月に続く>

●令和2年7月

 某新聞の投書欄に昔両親から教わったことやして貰ったことに感謝する記事が掲載されていた。投稿者は何十年か経って親の教えの大事さや愛情の深さに改めて気づかされたという。21世紀初頭黒人初の事務総長となったコフィー・アナン氏は「私の育ったガーナではお年寄りが一人亡くなると図書館が一つ無くなったと言われています。そのくらい若者にとってお年寄りから教わることは多いのです」と述べている。
 私も古びた分厚い本のページをめくるように育ったころの思い出に心を馳せると、母との様々な光景が浮かんでくる。遊びに明け暮れる私に「光陰矢のごとしだよ」ときつい口調の母の言葉は今も耳の奥に残っているが、そこに映る母の眼差しは優しく愛情に満ちていた。その他折々の母の言葉は意識の奥底に潜んでいて、今も私の思考や行動の羅針盤になっている事だろう。
 翻って自分に身を置き換えたとき、私は子供達に何を伝えることができただろうか。何を与えることができただろうか。自問を繰り返すたびに取り戻すことの出来ない過去の自分の生きざまに胸がしめつけられる思いがする。失った時間の大切さは歳とともに増してくるし、子供らへの不安は自分への不安となって返ってくる。

●令和2年6月

 新聞記者として詐欺事件に長年関わってきたA氏だったが、自分もフィシング詐欺に遭ってしまったという。ある日A氏に大手通販サイトアマゾンから安全確保の為24時間以内にアカウントの更新をしないと利用を制限するとのメールが届いた。メールを信じた彼は画面の指示に従ってユーザーID, パスワードそしてカード情報を入力した。その数日後カード会社から連絡で不正利用されたことを知るところとなった。
 その新聞記事を見た私は、社会人になりたての頃の一場面を思い出した。馬券売り場に通じる大通の人だかりの中で大道詰将棋が行われていた。1回1,000円だった。足を止めた私はいつのまにか誘いに乗り駒を握っていた。何手か打った私は勝ちを確信した。しかしその直後なぜか自陣に私の王様がいて、敵の角に捕られてしまった。その後相手は親切に正しい詰め方を教えてくれた。お金を払い帰ろうとすると今まで周りで覗き込んでいた一軍がたちまち私を取り囲み財布から2万円抜き取った。将棋盤の片隅には小さく「王様捕られたら1万円、詰め方教わったら1万円」と書かれていた。帰り道何故か彼らの生き方に憐れみを感じた。当時大卒の初任給は4万円ちょっとだった。苦い思い出だが、50年経った今となっては懐かしい思い出である。

●令和2年5月

 ニュージーランドの新型コロナウイルス対策は「世界中から絶賛されている」という。ウイルス対策の目標に「根絶」を掲げ、全国民に世帯ごとの隔離や、一部の職種を除き自宅勤務を課しているが、自宅で仕事ができない人には週に2万円から4万円近くのお金が支給されている。他国に比べその対応は厳格だが、世論調査によれば、92%の人が政府の方針を守り、84%の人が政府の方針に賛成し、信頼を寄せる人は88%となっている。その背景には首相(女性)の国民の不安をくみ取り、慰め、意思疎通を図る姿勢とともに巧みなコミュニケーションにもあるという。彼女は自らの気持ちを伝える為に毎日1回会見を行っている。また自作の「警戒レベル表」にはレベルごとの状況や「行なっていいこと」、「行なってはいけないこと」がわかりやすくまとめられている。迅速な「接触者追跡」も欠かせない。保健省のサイトには感染者に関するリストが性別、年齢の他海外渡航先や搭乗日や搭乗地、便名に至るまでの情報が網羅されている。
 各国の取り組む姿勢の差異は「人命優先」と「経済優先」に大別される。その選択は主導者の考え方に加え国家形成の過程や国民性によるものといえそうだが、果たして日本の対応は適格なのだろうか。「二兎を追うものは一兎をも得ず」にならなければ良いと願っている。
(現代ビジネスより一部引用)

●令和2年4月

 今から約5億年前、海中に体長1メートルを超えるアノマロカリスという生物が出現した。アノマロカリスはこの時代の生態系の頂点に君臨し、2,000万年程繁栄を極めたがが、突然姿を消しその遺伝子を受け継ぐ生物は存在していないという。絶滅の原因は解明されていないが、彼らを狙い撃ちしたウイルスが存在したのかも知れない。
 40億年前に出現したウイルスは人類の発展に大きく関わってきた。新人類の歴史はわずか20万年だが、私たちの祖先は12万年前に発生地のアフリカ大陸からヨーロッパへと旅立っていった。その背景に「感染症からの避難」があったという説もある。その後人類は医学を発達させ細菌やウイルスの撲滅に努めてきたが、ウイルスは巧に「新型」を繰りだし対抗してきた。今問題のコロナウイルスの原型は紀元前8,000年ぐらいにでき、その後野生動物や家畜に潜んでいたと言われている。そして2002年にSARS,2012年にMERSと姿を変え人類に襲い掛かった。新コロナウイルスに対するワクチンや新薬のいち早い開発が望まれるが、この先変幻自在に遺伝子を変えるウイルスに対抗し続けることができるだろうか。恐竜の絶滅は隕石によるものとも言われている。もし人類が滅亡するとしたら核兵器ではなく、その原因としてウイルスの関与があったとしてもおかしくない話である。

●令和2年3月

 一人の少年が『「しょうがい者」という言葉は、よばれた人が嫌だから言い換えよう』と某新聞に投稿した。すると『「障害」とはその人を指すのではありません。障害とは「しょうがい」を持った人と社会の間にある壁のことです』との投稿がよせられた。手足の短い難病の娘をもつNさんは、娘の生活を思い描いたとき、身長を伸ばす手術を医師の勧めに従って行うべきか迷っていたがその投稿を目にしてこころのもやもやが晴れ、あるがままでいいんだ、という気持ちが固まったという。
 障害者の自立が話題になるとき依存からの脱却が語られることが多い。何年か前、産まれながらにして難病を抱えて育った医師の公演を聞いたことがある。彼が言うには健常者は障害者と違って多くのものに依存できる社会の中で生活している。障碍者の自立を促すためには、もっと依存の機会を増やせるよう人為的環境のデザインを変えることが大事だと語っていた。私自身、眼鏡や補聴器の使用その他多くのものに依存して生活しているし、他の健常者とて大同小異だろう。自立を促す前に彼の言うように「しょうがいしゃ」が依存できる場や機会を増やす事が、ノーマライゼーションに向けての大事な処方せんではないだろうか。
備考 ノーマライゼーションとは 「分け隔てのない社会の構築」

●令和2年2月

 人間と動物の違いはなにか? それは「道具を使うこと」「火を使うこと」「言葉を話すこと」等と幼い頃習ったような気がする。最近では人間の特性として「心を動機として行動する生き物」とか「宗教や哲学といった抽象的概念を持っている生き物」あるいは「死に際して自分を高めることができる生き物」等の記述を目にしたことがある。
 それらは全て人間の本質をついているが、私はその違いを文字の存在に求めたい。私たちはインターネット等の活用により、文字を通して瞬時に世界の出来事を知ることができるし、遠く離れた人たちと意思の疎通を図ることができる。もちろん会話でも可能だが、その内容を記憶に留める為には文字の力が必要である。さらに私たちは書物を通して過去の人々の文学作品や思想に触れることができる。こうした過去の人々との交流は時間を超越した四次元の世界を意味し、三次元の世界に生きる動物たちとの違いを如実に示しているのではないだろうか。タイムマシンに頼らなくても、職場や居間そして枕元でも過去の賢人たちから多くのことを学び取ることができる。私は人間としての存在価値を文字の活用に求めたいし、新年にあたって人間として存在する時間を少しでも増やせたら良いなと願っている。

●令和2年1月

 「もはや戦後ではない」とは1956年の経済白書に盛り込まれた一節だが、日本はその後も経済成長を続けGDBはアメリカ、中国に続いて世界第3位の経済大国となった。平均余命も世界の最高水準にある。世界の住みやすい都市ランキングでも大阪や東京は上位を占めているが本当に日本は豊かな国なのだろうか。世界の超富裕層8人と下位36億人の資産額が同じといったデータには驚くばかりだが、日本の所得格差も深刻さを増している。
 ユニセフのまとめた「子どもたちの公平性」調査によると日本の所得格差はOECD加盟41カ国中8番目に大きい国となっている。また世界各国の男女平等の度合いを示すランキングで日本は年々順位を落とし昨年度は153カ国中121位と先進国では最低であった。男女格差は労働力の不足を招き、経済発展を阻害する大きな要因の一つで海外の投資家も女性参加の度合いを注視しているという。
 戦後70年を経過し、一見穏やかな日々の積み重ねに思えるが、その根底には多くの不満や矛盾が混在している。この先資本主義、民主主義の弱点をついて社会を煽動する動きが現れないとも限らない。一人ひとりが「分かち合い」の気持ちのもと令和2年を迎えたいものである。

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