●令和3年12月
元広島監督の古場竹識氏が亡くなられた新聞記事を目にした。彼はシーズン半ばで初めて監督に就任した年に広島を初優勝に導くとともにその後3年連続で日本シリーズも制した名監督だった。その監督の下で活躍した某選手が「監督が就任し、つらいことが多かったが、その厳しさがあったからこそ、自分は成長できたんだなと感じています」と語っていた。古場監督が善き指導者だったからの発言に違いはないが、その響きは昔聞いた言葉に似通っていた。そう、虐待の世代間伝搬を学ぶ講義の中で「子どものころ親から厳しく育てられたおかげで一人前の大人になれた」と虐待を正当化し自らも子供を虐待するケースと似通っていた。
両者の違いはそこに本物の愛情があるかないかに関わっているといえそうだが、その見極めはかなり難しそうだ。実際私たちの周りには宝石類や工芸品等本物と遜色ない物が数多く存在する。私たちは偽りに対し寛容なのか或いは鈍感過ぎるのかも知れない。しかし常に本物と偽りとを区別する眼力は持ち合わせていたものである。特に愛情といった心の分野では不可欠ではないだろうか。
施設長 井 上 節
●令和3年11月
先日行われたドイツ連邦議会選挙における10代の投票率は70%だったという。一方日本の前年度参議院選挙の10代のそれは約33%だった。私はこの差の原因の一つを学校教育に求めたい。日本の学校では「公民」などで選挙制度や選挙の歴史を教えるが、「教育基本法」では、職員の政治的中立を確立するため、特定の政党への賛否や政治教育などが禁じられている。一方ドイツでは日本の中学生にあたる時期から授業で現実の政党と政策を学ぶ。生徒たちはグループを作り各政党の政策に対する賛否を論じ合う。そして教師は「私の意見はね」と前置きの後に自分の支持する政党や意見を述べるという。
ドイツではこのように本物の政治を扱いながら意見を交わしたり、疑問を抱くことで、生徒一人ひとりの思考力を養っている。いわばドイツの学校は「実社会そのもの」といえそうである。北欧のある国では政治家を授業に招き政策を語る場を設けているという。今後日本の投票率を上げるためには学校教育を見直す必要があるし、そうすることで国民の政治に対する関心も高まるのではないだろうか。
デイリー新潮(10/18配信)より一部引用
施設長 井 上 節
●令和3年10月
何十年か前、私は本の出版を考えたが、奥さんの「あなたの本を貰って喜ぶ人はいない」との一言で諦めてしまった。しかし歳とともに自分の生きた軌跡を残したいとの思いから、この度、書き溜めたエッセー等を綴った「老人ホームの窓辺から2」を出版することとした。エッセーを書く折、題材を求めあれこれ思案していると、過去の出来事が突然芋づる式に思い出されることがある。
先日トコロテンを食べていたら、中学時代テニスの練習後に仲間と食べた場面から始まって、県大会で負け悔しい思いをした光景が土のコートの香りを伴って浮かんできた。その頃、同じテニス部に仲良くなった同級生の女性がいた。ある時二人で買い物に行った折り、急に降り出した雨に彼女の差し出した傘の赤い花柄を今も鮮明に覚えている。
その他苦い思い出も数多くあるが、人生の過程で体験した喜びや悲しみは日頃忘れていても脳細胞の中に無限に存在することだろう。楽しい思い出が心に安らぎ与えてくれる一方で、つらい悲しい出来事を忘却の彼方に追いやることで、私たちは心の平穏を得ているのかも知れない。
施設長 井 上 節
●令和3年9月
今年3月、入管に収容されていた30代のスリランカ女性が体調不良から死亡した。彼女は4年前に日本語習得を目指して留学したが、学費が払えず学校を除籍となった。その後彼女はアルバイト等をしながら難民認定を行った。結果は許可されず残留資格を失い入管に収容されていたが、彼女の例が特別というわけではない。
日本では国際貢献の一貫として「技能実習制度」を設け外国人労働者を受け入れているが、本来の趣旨と違って、安価な労働力として雇用してる企業が少なくない。彼らは日本で働くために、渡航費用や斡旋業者への支払いを借金で工面することが多いという。しかし低賃金や無支給の長時間労働に加え休暇も与えらないことから、返済もままならず、失踪しその後不法滞在者として入管に収容されたり強制送還される例が後をたたない。今回法務省は彼女の死を受け、収容者の人権の尊重とともに医療体制の改善案を示したが、小手先の対応ではなく、諸外国から人身売買との疑いさえ持たれかねない制度の根本的な改革が必要ではないだろうか。
施設長 井 上 節
●令和3年8月
バスの都合もあったが、待ち合わせの時間より1時間程早めに家を出た私は、図書館で時間を潰すことにした。図書館の中は蔵書で埋め尽くされていて読みたい本はなかなか見つからなかった。迷路のような棚の間を歩くうちに私は一冊の本に吸い寄せられた。棚から抜き取りページを捲るとどうやら著者は私と同年代に思えた。巻末の記載から1952年生まれ、「日本推理作家協会賞」はじめ直木賞も受賞していることが分かった。手にした本の話は大学時代恋人だった彼との偶然の出会いから始まっていたが、文章から私の学生時代の社会情勢や当時の生活の匂いを感じ取ることができ次第に作品に吸い込まれていった。読み切れず本は借りることにしたが、その後Book Offで彼女の著書を数冊買い求めた。文書の構成が巧みだったし、読み終わると良く冷えた清涼飲料を飲み干したような爽やかさを感じた。
今回たまたま手にした一冊で一人の素敵な作家と出会えたが、これは偶然だったのか必然だったのか。そもそも人と人との出会いを含め全ての事象は偶然なのか必然なのか私にとっては答えを見出せない問題である。敢えて語れば「多くの場合全ての事象は偶然の結果によることが多々あるが、その結果を招いたのには分けがあり、その分けは偶然からは生まれない」といったところではないだろうか。
施設長 井 上 節
●令和3年7月
梅雨のこの時期、紫陽花をみると高校生の頃学んだ漢文の授業を思い出す。「人生とは何か」その答えを三木清の人生論に求めたが、哲学じみた内容は私の理解力を超えていた。今にして思えばエリクソンの説く「自我同一性の確立」の時期で、自分探しの旅の始まりだったのだろう。ある日の漢文の教材は「長恨歌」だった。高齢のちょび髭をはやした教師はその一節「春寒うして浴(よく)を賜う華(か)清(せい)の池 温泉水滑らかにして凝(ぎょう)脂(し)を洗う」を取り上げた際、若い楊貴妃の肌を紫陽花の葉に例え、そこに雨水が水滴となって弾ける様をまめかしく語った。その情景を思い描いた私の心は踊っていた。その後今日まで明解な目標も持たず人生の終盤を迎えてしまったが、エリクソンによれば老年期は死に対する意識が高まり、自身の人生を回顧したり、様々な衰えに恐怖を抱く時期だという。
私自身の人生を振り返った時、何を基準にするかによって満足度は変わってくるが、少なくともこの歳まで大きな紛争や災害に遭遇せず健康で過ごせてこれたのは何事にも代えがたい感謝である。そして今、庭先の季節を謳歌するように咲く手毬紫陽花を観ていると、紫の花弁の中の楊貴妃が通り過ぎた青春時代へと誘って(いざなって)くれているようにも思えた。私は時を経ても変わらぬ感性があることをあらためて実感した。
施設長 井 上 節
●令和3年6月
5月3日の憲法記念日は過ぎたが、最近憲法改正問題が話題となっている。改正賛成の理由としては、自衛隊のありかたを含め時代の変化に対応できていないと言った意見が多く聞かれるようになってきた。私も改正に反対ではないが、もし改正するなら「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、・・」を改め同性婚を認める等個人の人権を更に認めてはどうだろうか。確かにおしつけ憲法といわれるように、現憲法には日本の再軍備化を防ごうとするアメリカの意図が強く反映されているが、一方で時の為政者の意向を忖度しない民主主義の理想が条文のあちこちに込められている気がする。平和憲法と言われる所以はそこにあるのだろう。もしそのことを無視して改正されたなら世界に類をみない日本国憲法の存在意義が失われてしまうのではないかと危惧している。
さて、今から1400年以上前に聖徳太子が作ったとされる「十七条の憲法」は国家主権を柱としていて、現憲法の比較対象とならないことは言うまでもない。しかしそこには「和を以って貴しとなす」に始まり、賄賂を止めて公明正大な判決を行うよう求めたり、悪しきを懲らしめ善を勧める条文がある。もし為政者が美しい日本を築くために改正を進めるなら聖徳太子の精神を受け継いで貰いたいものである。
施設長 井 上 節
●令和3年5月
オリンピック開催まであと3か月ばかりとなったが、本当にオリンピックは開催されるのだろうか。もちろん賛否両論があることは理解しているが私は反対である。そもそも元安倍首相は「我々人類が新型コロナウイルスに勝った証として感染対策を万全なものとし、世界中に希望と勇気を届ける大会を実現する」と述べたが、果たして打ち勝っているのだろうか。ワクチンが開発されたとはいえその普及は十分でなく、今も世界では一日80万人以上が感染し1万人以上が死んでいる。更に南アフリカ型やブラジル型といった変異ウイルスへの対応は確定されていない。
国は景気浮揚と支持率アップのためにオリンピックを活用したいのだろうが、開催となればたとえ制限しても諸外国から新型コロナウイルスが持ち込まれる可能性は否定できない。この際オリンピック開催を中止し、国民の健康を第一に考え経費や人員を新型コロナウイルス対策に振り向けるべきではないだろうか。更にひっ迫する病棟や療養施設の確保にはオリンピック村の開放を提案したい。実現には様々な障壁があるだろうが、太平洋戦争では国民にありとあらゆる犠牲を押し付けた我が国にとって難度の高い話とは思えないし、国をあげて新型コロナウイルス撲滅にあたることが、経済回復の早道ではないだろうか。
施設長 井 上 節
●令和3年4月
子供の頃、ガリレオガリレイやニュートン、キューリー夫人とかが載った世界の偉人伝を読んだ記憶がある。子供心に彼らは偉い人だなと尊敬の念を持ったものだった。知り合いに「尊敬する人はいますか」と問いかけと、両親や祖父、祖母等を上げる人が多いが、近親者を除いて私たちは尊敬する人が何人位いるだろうか。現在、過去を含め偉大な発明や社会の発展・平和に貢献した人や貧しい人の救済に生涯をささげた人等数多くいる。その分野は政治・経済・文化・芸術等多岐にわたる。又社会に知られていなくても地域貢献に熱心な人も多数いる。そうした人々を知ることは、自身の成長に繋がると思うが、自ら求める心がなければ彼らを知ることはできないだろう。そこで尊敬する人の多さは、その人が社会の動きにどの位関心を寄せているかについての大事な指標の一つになるといえるのではないだろうか。
かく云う私も、自身の尊敬する人を思い浮かべた時、その少なさにがっかりするとともに不甲斐なく思ってしまう。既に古希を通り越してしまった私だが残された時間を有意義に使い、新たな出会いを書物やそこかしこに求めたていきたいと思っている。 幾つになっても「求めよさらば与えられん」といった気持ちを持ち続けたいものである。
施設長 井 上 節
●令和3年3月
最近、妊娠や出生時の婚姻状況によって子供の父親を「推定」する法律(民法)を見直す動きがある。現行法では結婚から200日後又は離婚後300日以前に生まれた子は前夫の子とされている。その為夫と別居中に別の男性との間に生まれた子の真の父親を求める訴訟も起きている。法務省によれば戸籍のない人の多くはこの摘出推定制度に原因があるという。
中間試案では、「再婚後なら夫の子」という例外規定に加え、「摘出否認」の権利を父親のみから未成年の子にも拡大することが考えられている。更に妊娠を機に結婚する夫婦の多いことから「夫の子」とする範囲を「結婚前に妊娠した子でも結婚後に生まれた子は夫の子」と定めるとのことだ。現在は、制度の矛盾を避けることから100日間に限って女性の再婚禁止規定が設けられているが、男女平等の考えに反しているともいえる。そもそもこの法律は明治31年以来改正されておらず、結婚や恋愛に関する社会の考え方は大きく変化した。
今回の見直案に評価すべき点は多々あるが、もう一歩進んで親子関係の確定にDNA鑑定を明文化してはどうだろうか。勿論すべてのケースに求めるのではなく、当事者達が一致して科学的根拠に基づく結果を望むなら、争点解決の手段に採用するのも有意義ではないだろうか。
施設長 井 上 節
●令和3年2月
12月初め、私はインターネットに記載された「きのこ栽培セット」を購入した。届いた商品は高さ18cmの長方体で、同封された栽培手順書には日中や夜間の温度管理が細かく記載されていた。私はその指示に忠実に従い適正な温度を求め朝晩何度も場所を移動した。部屋の暖房の主役はシイタケとなった。霧吹きによる水かけも欠かさなかった。そのかいがあってか日増しに大きく育っていく姿をみて私はますます時間と愛情をシイテケに注いだ。その後、私はこの栽培セットを数名の知り合いに差し上げた。すると「デイサービスの高齢者と一緒に毎日楽しんでいます」「孫が喜んでいます」「夫婦で大事に育てています」等感謝の言葉を沢山いただいた。
私は何十年か前、子どもが育ち終わった頃家庭菜園でナスやトマトを栽培したことがあった。その時も成長が楽しみで、毎日朝な夕なに眺めていたものだった。植物の成長に喜びや意義を感じるのは人間誰しもが持っている本能かもしれない。そして高齢になるにつれその感情は強くなるのではないだろうか。施設室内で手軽にできるこの栽培は高齢者の笑顔を生み出すきっかけになるかも知れない。認知症の予防にも役立つかも知れない。そしていつか「シイタケ栽培療法」として福祉業界に広く行き渡る可能性さえ秘めているように思えた。
施設長 井 上 節
●令和3年1月
最近我が家の本箱にあった「或る遺書について」を目にした。そこにはシンガポールの刑場で戦争犯罪人として処刑された一人の青年の遺書が掲載されていた。 大学入学後まもなく学徒出陣し南方の孤島に向かった彼は、住民等のスパイ活動の取り調べに関わったことが不利な状況を招いてしまった。他の日本軍人のように残虐な行為は一切しなかったが、法廷では上級者の将校たちから真実の供述を厳禁されていた。死に際して「南方占領後の日本軍人が行った残虐行為は、彼等だけでなくそれを許した日本人にも責任がある。世界が日本の行った無理非道を非難するのは当然である。私の死が世界人類の気休めになれば幸いである。日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬのだと思えば、腹も立たないで死んでいける」と語っている。更に戦争犯罪者の汚名を下され家族に迷惑をかけるのではないかと心配しながらも「ここまで生き残ってきたことが既に感謝すべきことであり、幾百万の同様の運命にあった死者たちのことを思えば、生き残りたいとい希望をもつことすら不正と感ずる」と心境を述べている。
読み終えた私の手元に国連UNHCR協会から支援をお願いするパンフレットが届いていた。私は少しでも彼の死に報いることに繋がればとの想いもあって、僅かばかりのお金を寄付することにした。
「或る遺書について」(塩尻公明著)より引用
施設長 井 上 節